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研究したくない…

まず大前提なんだが,やりたくないことはやらないのが速攻効くよね.ただこれを読んでくれているということは,心か頭か知らんがどこかしらに「研究しなくちゃ」という何かが眠っていると信じて,,,.情報を専攻している学生と自分自身へ.

難しいことに取り組んでいる

まず学生が研究することってめちゃくちゃ難しいことだと思うんです.私は音楽科だったり芸術科だったりの学生をみるとすごく尊敬の念を抱きます.収入がなく,職の安定性も期待できず,(おそらく)親から反対されまくり,,,あれだけ純粋な好奇心とやらをすごく尊く思います.工学研究も似たようなところが一部(少なくとも)あると思うんです.自分の作品である論文をゼロから,やり方も技術も自分で勉強してやっていかなきゃならん,学生なんて,,,.すごく難しいことだなと思うんです.逆にそこになんの葛藤もなく初手からスルスルと研究できる学生が研究に向いているというか?とも思うほど,研究は難しい性質があるし,難しくなくてはいけない節もあると思うんです.GPTに発案,実装,論文の執筆を任せきりにしている研究は研究と呼ぶものか,,,とも思うが,それは学位審査にはあまり関係しないというところもミソだよな.まあとりあえず,自分の作品を作ることが義務付けられている学生の苦しみだったり葛藤は,すごく尊く同時にかなり重いバーベルですな.自分もすごく重く感じるときがある.

案外簡単なことでもある

一方,簡単でなくてもいけないのよね.だって私の知る限りほとんどの工学の学生は,4年生の大学の卒業時に論文を書くことが必須なのですよ.選ばれた特別な人とか特別な能力がないと書けないというものでもないんじゃないかな.なんか修士に限ると入学した瞬間に就活が始まり,TAやりながらコンペにもでながらインターン行って留学にも行く人は行き,そんな中で学位をとる研究を求められるようなもんなんですわい.研究はやっぱピンキリであり,ホイってできるものも(良し悪しはおいといて)いっぱいある気がする.し,学位審査にRejectされないように書くのが学位論文ってもんでは?という意味では教員とかがトップカンファレンスに出すことを真似る必要はないんじゃないかなとも思ってしまう.卒業する目的のためには.わりと手を抜いた研究でもいいと思うんです.し,そっから初めてもいいと思うんです.

研究の仕方を学ぶのも研究

この年になってようやく本格的に就活して,多くの採用しようとしてくれる方々が言ってくれるのは,「博士には論理的思考力があって,,,」っていう言葉だよ.これが示すように専門もそうなんやろうけど,それよりも研究をする過程を何度も修行するということ自体が研究であってそこに人材価値を見出している?人もまあ少なからずいると思う.研究に苦しんでいることそのものが,研究していることでもあるんやなーと思っています.何もしていないと思っていても,案外なんかしている状態である気もする.あとでふとそう気づくこともよくあるんじゃないかなーと思ってしまう.から研究しなきゃと思っている自分も案外,大きな目で見ると必要な工程である気もする.

案外みんな気にしてないし無責任

自分と指導教員と共著者を除いて,自分の研究に責任を持つ人はいないと思うんです.なんか大抵の質問は独り言と受け止めてもいいと思うんだよね.時には,指導教員のも含めてよ.研究は自分のもんやし.進捗を欲しがってると思ってても全然そんなことなかったり,自分の教育プログラムを理解していると思いきやそんな把握してなかったり,そんなもんじゃないのかな.なんか厄介なのが,すごく嫌味言ってくるくる人とか怒ってくる(本人はだいたい認めんが)人とか人格否定してくる(これもおそらく本人は認めんが)人とも付き合い続けなきゃいけなかったりすることよね.それが学位審査員とかだと,めちゃくちゃ萎縮するよね.まあそういうのは,なんかすごく思うことはあるけど,結論,あなたが嫌だと思うことを言われてもほっといてもいいと思うし他責していいし,いい論文書けば学位あげるしかないから.論文が“すべて”かつ,良いと第三者に認められさえすれば(査読を通せば)教員は何も言えないというのも学位審査のミソですな.そんなことないのかな?

案外わたしたちはシンプルな生き物だと思い込む

もう無理って思うときこそ,人間って案外単純な構造なんだと思うとすごくいいなと思うんです.散歩するだけで,なんかうれしくなる度にいつも思う.お風呂入ったら気分がよくなるし,好きな音楽を聴いたらうれしくなるし,美味しいものを食べたら嬉しいし,3食たべると力がみなぎるし,いっぱい寝たら気分がいい.うまくいかない時は,だいたいこれのどれかが抜けてる.早く起きてお坊さんの生活をまねると,こんなにも一日が長かったのかと驚く.

他人がすごいと思ったら

なんか歳をとって思ったが,学生時代にやったことで無駄なことなんてなかったなと.まあ強いていうならYoutube Shortみてた時間やな.なんかいつかこの苦痛や喜びや葛藤がなにかを生み出しているし,それを含めて今の自分がいると思えば,なんかそれでいいと思えてくる.どんなけ技術力があろうが,研究が得意な人であれど,自分の苦しみと体験をだれもしてないやろが!と思えば,なんかいいと思えてくる.自分はそうかな.なんかお金をめちゃくちゃ稼がなきゃいけない制限がある人とか,社会でSurviveしている人はそんなん甘いなと思われるんだろうけど,なんかこんなんでのほほんと生ていると楽だなと思っています.

目標を思い浮かべる

さっきも書いてるけど,学士でも修士でも博士(これは僕が卒業して証明して見せる)でも,自分が研究に向いてるな!とか思う必要はないし,研究すき!とか思う必要はないと思う.なんせ工学学士をとるだけでも研究が必須になってるんだから,そんな行為がそんな神聖であるべきではないと思う.自分が思う目標が達成できればなんでもいいし,各それが違っててもいいと思う.教授とか賞をとる先生は,学生に大して「好きこそものの上手なれ」を押し付けすぎてないかなと思う.やっぱ教育なんか(特に研究室という狭いコミュニティですら)普遍的な対話方法なんてないと思うし,それぞれの接し方があると思う.

悩んでなんぼの青春よ

私の好きな本の森毅さんのタイトルです.学生という無条件の青春時代を行きているからこそ,悩むことが肯定されるべきだと僕は思うし,学生だからなにかに苦しんでいる状態であるべきともおもうわけ.これは学びというものを得るために非効率で不必要で無駄なことをするべきということ.それを抜け出すのは時として簡単だとも思える.例えば,お金を稼ぐことがすべてにおける善と考えたりしたら,楽に捨てれるものもいっぱいあるだろうと思うし,許せることも増えるだろうと思うけど,その悩んでいる状態こそが最高の状態なのかもしれないと最近思う.まあそれが耐えれるレベルのものであればね.

おわりに

結局話がまとまらんかったけど,まあこんなことを思う最近です.研究しなくちゃと思う毎日です.